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《特別企画》80年代のイージー・リスニングを振り返る(ピエール・ポルト編)

 日本の音楽業界、放送業界にも影響を与えた、ピエール・ポルト、リチャード・クレイダーマンについて、当時、ビクター音楽産業(現:JVCビクターケンウッドエンタテインメント)で彼らをプロデュースしていらっしゃった、ワキタ・ミュージック・プランニング社の脇田信彦さんへのインタビューをおこない、当時の裏話を語っていただきました。そして、インタビュー中、ふと気になったジャン・クロード・ボレリーについて調べていくと、こちらも興味深い事実ががわかってきましたので、3部構成でまとめてみました。

Part 1 : ピエール・ポルトとフライデーナイト・ファンタジー

 日本のTV番組にテーマ曲を数多く提供してきたフランスの作曲家ピエール・ポルト。特に「フライデーナイト・ファンタジー」については、テーマ曲が変わって以降も多くの人がブログやYouTube投稿に取り上げるほどの人気を誇っています。しかしその一方で、あのトランペット演奏は数原晋さんだという誤った情報も流れており、ピエール・ポルトのファンとしては、事実関係をはっきりさせておきたい、という思いがありました。
 
 このたび、ビクターエンタテインメントでピエール・ポルトを担当されていた、ワキタ・ミュージック・プランニングの脇田信彦さんにお話をお伺いする機会を得ました。「フライデーナイト・ファンタジー」の話だけでなく、Gメン'75のテーマ曲として使われた「アゲイン(黄金色の嵐)」や「愛はルフラン」「心のさざめき」といった作品が日本のTV番組に使われるようになった経緯なども話していただいています。
 
 脇田さんは1970年2月に日本ビクターの音楽部門に中途採用入社されて以降、ニニ・ロッソを皮切りに、リチャード・クレイダーマンを始めとしたイージー・リスニング系や、スタイリスティックスやヴァン・マッコイのようなソウル系、ロシアのメロディア音源、民族音楽などを幅広く担当されてきました。
 現在は、ご自身が立ち上げたWAKITA MUSIC PLANNINGで、アルフレッド・ハウゼ、フランク・プゥルセル、フランシス・レイなど著名な演奏家の音源をそれぞれの権利会社からライセンスを受け、Amazon Music, Apple iTunes Storeを通じて日本国内市場に向けて配信する事業を展開されています。
 

イージー・リスニングの部屋:松本久仁彦

ピエール・ポルトを日本で発売するきっかけ

<松本> ピエール・ポルトは「ふたりの天使」で知られるダニエル・リカーリにデビュー盤から継続してオリジナル作品やアレンジ曲を提供し続けてきたことで、日本においても一部のイージー・リスニング・ファンには知られた名前でした。しかし、オーケストラ・リーダーとしての彼の存在は、手掛けていたのがフランス国内のTV番組のテーマ曲や映像作品用の音楽がほとんどであったことと、1978年から79年にかけて一般市場に向けて制作された3枚のLPも、ソノプレスというマイナーなレコード会社からのリリースだったこともあり、日本には全く情報が伝わってきませんでした。

 歌手ダニエル・リカーリとして1972年にフランスのバークレー・レコード社によりレコーディングされ、日本ではキングレコードから発売されたデビュー盤。ポルトが「恋のプレリュード」と「夕日のささやき」を作曲。「恋のプレリュード」はその後のリカーリのステージでもテーマ曲のように扱われた美しいメロディの曲。1972年のステージではルフェーヴルによるアレンジと指揮で披露された。

 このアルバムに関わっている編曲者としてはポルト以外に、フランシス・レイの「白い恋人たち」「ある愛の詩」などの映画作品に関わったクリスチャン・ゴーベール、のちにクレイダーマンの多くの作品のアレンジを手掛けることになるエルヴェ・ロワの名も確認できる。また、ローラン・ヴァンサンはミッシェル・デルペッシュに日本でもヒットした「青春に乾杯」「ワイト・イズ・ワイト」など数多くの作品を提供し、映画音楽作曲家としても知られた人。さらに、ジャケットには表記されていないがフランス盤によると「ふたりの天使」「シェルブールの雨傘」をアレンジしたのはレイモン・ルフェーヴルとのこと。
当時のフランスにおける超一流のアレンジャーたちがリカーリのスキャットを支えていた。

<脇田> フランス人アーティストの海外への売り込みビジネスをおこなっていたマリー・クリスティーヌ・ポルトからの売り込みだったんですよ。ポルトのレコードをビクターに送ってきてくれたんですね。

<松本> 彼女はポルトのもと奥さんですよね。離婚しててポルトの姓をそのまま名乗り、もと旦那の作品を売り込む、というのも不思議な関係ですが…。

<脇田> 本国のアルバムには、単に「ピエール・ポルト・グランド・オーケストラ」とだけ書かれていました。これを聴いたときは本当に驚きました。すごく魅力的なオーケストレーションで音楽的に深い。日本で売ってみたい。この音楽ならビクターの営業マンもついてきてくれそうだ。やるしかない。すぐに思いました。

 1979年にフランスで発売された『夢見る国への旅』のオリジナル盤。「白い太陽」と「小川」はロジェ・ブトリーが指揮をしていると書かれている。ロジェ・ブトリーは、名門吹奏楽団として名高いギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団の楽長を1973年から24年間努めた人。ポルトは1989年にビクターで録音した『エディット・ピアフに捧ぐ』でもギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団を招いて迫力ある演奏を繰り広げている。
 
 ちなみにソノプレス社は1958年に設立され「音の出る雑誌・SONORAMA」という、ソノシートを付けた雑誌を出版していた会社。ソノプレス社の技術供与により翌年、日本で設立されたのが朝日ソノプレス社(のちの朝日ソノラマ)。これにより朝日新聞社は、「アサヒグラフ」という写真を中心とした報道雑誌に対比する形で、インタビュー音声などをソノシートに収録した「月刊朝日ソノラマ」という雑誌の創刊に至った。

<脇田> ただ、ポルト自身が日本では無名のアーティストですし、全編オリジナルですから、どう売り込むか非常に困ったんです。そこで考えたのが、詩とかエッセイとか物語とか、そういうものと一体化させてはどうかということですね。作家の方に曲を聴いてもらって、そこからインスピレーションを得て書いていただいた文章を載せるというものです。まず、落合恵子さんにお願いしました。しかし、残念ながらピンとこなかったようで…。
 
 それで、童話作家の立原えりかさんにお願いしたんです。出来上がってきたのが、都会に住む少年が旅に出て幻想的な光景に出会っていくという10曲の物語でした。さらに、立原さんの旦那さんが渡辺藤一さんという画家さんで、立原えりかさんの作られた多くの童話絵本の絵も描かれていましたから、ジャケットの表と裏の絵も描いていただきました。そして『夢見る国への旅』とアルバム・タイトルを付けて売り出したんです。1980年2月のことでした。

<松本> 演奏が絵画的できらびやかさや叙情的な雰囲気をもってましたし、全編オリジナル曲で何の先入観もありませんでしたから、あの手法は良かったと思います。童話も曲調やタイトルに合っていて引き込まれていくようなストーリーでしたし。それになんと言っても、ジャケットが素晴らしいですよね。イージー・リスニングのアルバムで、あれを超えるジャケットはないんじゃないでしょうか。

 ピエール・ポルト・オーケストラの日本デビュー・アルバム『夢見る国への旅』。アーティスト名や収録曲名が絵画を邪魔しないようジャケット端に小さく書かれている。B1曲目の「夜明け」のヴォカリーズは、フランシス・レイの「愛と哀しみのボレロ」などにも参加しているリリアン・デイヴィス(Liliane Davis)。
 ジェットストリーム(ジェットストリームは、演奏者も曲名も言わないで音楽を流す)でA面1曲目の「Soleile Blanc / 白い太陽」を初めて聴いた時、非常に衝撃を受けたのを覚えています。そのお話はこちらから。

<脇田> ピエール・ポルトを手掛けたことで、当時売り込みを始めていた「ニュー・イージー・リスニング」というジャンルも、幅が広がりました。

●ニュー・イージー・リスニング
 リチャード・クレイダーマンに加え、「ブルー・ドルフィン」という作品がFM放送でよく使われたイタリア人のスティーブン・シュラックス、同じくFM放送の番組テーマ曲として重宝された「朝もやの渚」を生んだイギリスのジョニー・ピアソンの3人を中心に、ビクターが新しい時代のイージー・リスニング、ということで売り込んでいたアーティスト群。のちに、クレイダーマンと同じデルフィン・プロダクションのアーティストでギター奏者のニコラ・デ・アンジェリス、トランペット奏者のジャン・クロード・ボレリーなども加えられる。

数多くのテレビ番組テーマ曲を提供

<松本> その後、ピエール・ポルトとビクターがレコーディング契約を交わし、最初に作ったアルバムが『哀しみのテス』ですね。発売は1980年9月21日でした。

<脇田> そうです。最初になにをやってもらおうか、と考えていた時に、親しくなっていたヘラルド映画の方から「今度、ロマン・ポランスキー監督の「テス」という映画を配給することになったんだけど、その主人公をイメージした曲を作ってもらえないかな。」という話をいただきました。映画「テス」は、数多くの映画音楽に携わっている一流の作曲家、フィリップ・サルドという方が手掛けていて、しかも「テス」の音楽自体が1979年の第53回アカデミー作曲賞にノミネートされたくらい優れた音楽作品なんだけど、当時はラジオなんかも重要な広告媒体だったので、サウンドトラック盤の重厚な演奏を流すと映画の良さが伝わりにくい、ということだったのだろうと思います。当時は、そういうプロモーション方法ってよくあるパターンでした。ニーノ・ロータが音楽を手掛けたアメリカ映画の「ハリケーン」もそうでしたね。ロック調の曲がイメージ・テーマ曲として作られました。まあ、こちらの方はあまり売れなかったですけど。

 ピエール・ポルト・オーケストラの2枚目のアルバム『哀しみのテス』と、そのシングル盤。ちなみに、フィリップ・サルドが手掛けた『テス』のオリジナル・サウンドトラック盤(VIP-28007)ではサントラ盤11曲に加え、ポルトの2曲が最初と最後に収録されていた。

白い太陽 - ピエール・ポルト
哀しみのテス - ピエール・ポルト

<松本> 確かに、その当時は海外からの情報が十分に入って来ませんでしたから、映画の宣伝において映画音楽は非常に重要な位置を占めていました。それで「哀しみのテス」「テスの喜び」それと、ピアノ・ソロ版の「哀しみのテス」を作って演奏してもらったというわけなんですね。

<脇田> いや、ピアノ・ソロ版は当初の予定にはなくて、レコーディング・スタジオで追加でお願いして録音したように思います。

 3枚目のアルバム『愛はルフラン』と、そのシングル盤。「音の画家」というキャッチ・フレーズのとおり、これまでのイージー・リスニング・オーケストラにない、躍動感と色彩感を持つ演奏が収録されている。

<松本> 続く3作目が翌年に発売された『愛はルフラン』(1981年5月21日発売)ですね。これはポルトの良さが一番詰まったアルバムのように思えます。「ノクターン」のような美しいメロディの作品、「百合とひなげし」のような温かくホッとする演奏の曲。岸田智史さんの「黄昏」のアレンジもいいですね。それらに混じって「黄金色の嵐」というオリジナル曲があってGメン'75のテーマ曲に使われたんですが、これは出来上がった曲をTBSが採用したのでしょうか。

<脇田> いや、日音(にちおん)の常川さんという方からGメン'75のテーマ曲を提供してほしいと頼まれてポルトにお願いして作ってもらった曲なんです。日音はTBS系の音楽出版会社ですね。当時はビクターがクレイダーマンを始めとした演奏もののアーティストをたくさん抱えていて、TBSさんにはそういうサウンドに関心のあるかたがいらっしいましたので深いお付き合いをさせていただいていたんです。ジャン・クロード・ボレリーが演奏する曲をテーマ曲に使いたいと依頼されて「Vanja's Theme / 哀愁のトランペット」を提供したこともありました。その曲は系列局の毎日放送が制作した「TVドラマ木曜座 微笑天使」という番組で挿入曲として使われ、それに合わせてシングル盤をリリースしてますね。

●微笑天使
 TBSで1981年1月8日から3月26日まで、12回放送。

<松本> 作曲をお願いするにあたって、Gメン'75ってどんな番組だとか、現在使われている番組テーマ曲はこれ、といった情報はポルトに伝えたんでしょうか。

<脇田> 曲を送ったかは覚えてないですね。たぶん送ってないでしょう。当時は国際電話も高かったですしe-mailはおろか国際FAXというのもまだなくて、TELEX(テレックス=国際タイプライター通信)の時代でした。「TVのシリーズ番組」「活劇のテーマ曲」「アドベンチャー」「サスペンス」なんか、そんなこと書いて送ってもらったように記憶しています。注文されてからの納期もそんなになかったですね。出来上がったマスターテープを日音さんに持っていったら喜んでくれました。ポルトは仕事が早いです。

<松本> 番組のオープニングではポルトの音源ではなくてコロムビア・オーケストラが演奏したものが流れてましたが、だいぶ後の方でポルトによる演奏音源がそのまま番組のオープニングに使われたこともあったようです。ポルトが作曲したメロディは義野裕明さんによってドラマのいろいろなシーンに合うように編曲され番組内の随所で使われました。後に発売されたCD『Gメン’75 & Gメン’82 MUSIC FILE』で確認すると「捜索者のモノローグ」「大都会の憂鬱」「真犯人を追って」「ある家族の崩壊」といった曲名が付けられていますね。

 コロムビアから発売されているGメン'75とGメン'82の音楽集。両作品については何種類かのミュージック・ファイルが発売されていて、「黄金色の嵐(アゲイン)」をアレンジしたBGMも収録されている。右はピエール・ポルトの「Gメン’75テーマ曲<アゲイン>」のシングル盤。(1981721日発売)

<脇田> そのほか、この頃ポルトが日本のテレビ番組に提供した曲としては、TBSで放送された「拳骨にくちづけ」で使われた「愛はルフラン」、フジテレビ「いつも輝いていたあの海」で使われた「心のさざめき」もありました。後者の方は『夢見る国への旅』に収録されていた10曲に「心のさざめき」「ファンタジー・バロック」の2曲を追加して、ジャケットも南の島の写真を使った『心のさざめき(VIP-28089)』というタイアップ・アルバム(1984年9月5日発売)も作りましたね。

<松本> 「心のさざめき」「愛はルフラン」も「黄金色の嵐」のようにポルトに番組テーマ曲として作曲を依頼した作品なのでしょうか。

<脇田> これら曲は音効(TV局の音響効果担当)さんがセレクトしたものですね。

●拳骨にくちづけ
TBSで1981年3月4日から6月24日まで、5回放送
●いつも輝いていたあの海
フジテレビで1984年8月17日から9月28日まで、7回放送

フライデーナイト・ファンタジー誕生の経緯

<松本> ピエール・ポルトが演奏した番組テーマ曲で一番有名なのは「フライデーナイト・ファンタジー」ですね。この曲のトランペットは数原晋さんが吹いている、という記述がインターネット上で見受けられます。でもイージー・リスニング・ファンにとってみれば、この作品が発表された当時(1986年)のLP、CD、EP(シングル)盤には最初から「演奏はドミニク・ドラース」と書かれていましたので、いったいどこからこの話が出てきたのだろう、という疑問があります。

<脇田> Wikiの「ピエール・ポルト」や「フライデーナイト・ファンタジー」の記述は、何回も変更を申し入れたんだけどね。修正されては、また数原さんがやったという記述に戻って…を繰り返して、今の状況にあるんですよね。

<松本> ドミニク・ドラースの演奏という記述に「出典?」なんて書かれていて、じゃあ、そもそもそも数原さんの演奏だという出典は何なんだという話ですが。おそらく数原さんだって「私が演奏した」とは言っておられなくて、まわりが勝手にそう思い込んだだけではないかと思います。少なくともドミニク・ドラースというトランペッターは実際にいらして世界で活躍されている方だ、ということはご自身が開設されているホームページを見てもわかりますし「フライデーナイト・ファンタジー」を録音した1985年はパリで仕事をしていたということも書かれています。

左がドミニク・ドラース氏のCD、右は数原晋氏の配信アルバム。
●ドミニク・ドラースのホームページ
http://www.dominicderasse.com/

<脇田> 実は私は数原さんのこともよく知ってて、青山にあるビクター・スタジオで「や、どうも」という感じでよく会ってましたよ。何しろ彼は上手い上に仕事が早いんですよ。つまり録りなおしがないんですね。その分ギャラは高かったけど。でも、それでスタジオやエンジニア、他の演奏者の拘束時間が短くなるわけだから、それでよく来ていただいたわけです。
 
 数原さんは刀根麻里子さんがフライデーナイト・ファンタジーに日本語歌詞を付けて歌った時にバックで演奏したんですね。だから、おそらく数原さん自身のコンサートでも演奏したんでしょう。当然、有名曲だから演奏リクエストも多かったはずです。そうして何回も演奏会で吹いているうちに、TVで流れている方も数原さんが演奏している、という話が一人歩きしちゃったのかもしれません。
 
 TVでよく特番ありますよね「真実はコレだ!」みたいな。あれでビクターにTV番組の製作会社から問い合わせが来たことがあったんですよ。最後の裏付け取りなんでしょうね。それで私のところに連絡が来るんですが「それは違うから。数原さんではなくてドミニク・ドラースというミュージシャンが本当に吹いてるんだから。」って伝えたこと何回かありました。中にはそういう調査VTRが完成してから問い合わせしてきたような感じだった会社もあったようですね。

<松本> そもそもは、1985年秋の番組編成替えのタイミングで「水曜ロードショー」を金曜日に移す、というところからこのプロジェクトは始まったんですよね。

<脇田> その当時の「水曜ロードショー」のオープニング・テーマ曲は、これも私が担当したんですが、ニニ・ロッソのトランペットによる「水曜日の夜」が使われてました。これが結構評判が良かったんです。実際、1976年の10月から番組終了の1985年9月までの9年間の長きに渡って使わていました。

「水曜日の夜」のシングル盤。1976年11月発売。

<脇田> 「水曜日の夜」のレコーディングにあたって、シングル盤B面に同じ日本テレビの曲を入れようということになり、黛敏郎(まゆずみ としろう)さんの「スポーツ行進曲(NTVスポーツテーマ)」を演奏してもらいました。その際、行進曲ではなくてバラード調にアレンジして演奏してもらったんですね。タイトルも「緑の影」と変えて。作曲された黛 敏郎さんに聞いていただいたら、開口一番「珍妙なものですな」というお言葉をいただきました。

水曜日の夜 - ニニ・ロッソ
アゲイン(黄金色の嵐) - ピエール・ポルト

<松本> スポーツ行進曲自体がトランペットが活躍する勇ましい曲ですが、それをトランペットの名手が対極的にメロディの美しさを引き出すような演奏を繰り広げているのがおもしろいと思います。ニニ・ロッソならではの演奏ですよね。

<脇田> 1985年の夏になる前だったか、日本テレビ音楽出版の方から私のところに連絡があり、水曜から金曜に番組が引っ越しする、ということを告げられ、そのため新しいテーマ曲について相談を受けました。その時、日本テレビ側から言われた条件は、次の3つでした。
 ・ビクターのアーティストでオリジナル曲をつくってほしい。
 ・ニニ・ロッソ以外の演奏家でトランペットを使った演奏を受け継いでほしい。
 ・音楽の出版権は日本テレビ音楽出版が持つ。
 当時のビクターは、ニュー・イージー・リスニングのオーケストラ・リーダーとしてピエール・ポルトを押していて、ニニ・ロッソと同様私が担当していましたので、彼に頼んだ、というわけです。

<松本> ピエール・ポルト側の反応はどうだったんでしょう。その時使われていた「水曜日の夜」の音源を送ったとかされたんでしょうか。

<脇田> ポルトからは即座にOKの返事をもらいました。「水曜日の夜」の音源を送ったという記憶はなく、日本テレビ側から示された条件と「金曜日の夜に家族団らんで映画を楽しむ、そんな番組のテーマ曲だ。」そんなことを書いてもらってTELEXで送ったように記憶してます。そもそも、ピエール・ポルトっていう人は、フランスでは映画音楽やらTV番組のテーマ曲なんかいっぱい作ってましたから、まあ、彼としては手慣れたものなんでしょう。

 左は197612月発売の『水曜日の夜~ニニ・ロッソの新しい世界』。ニニ・ロッソは毎年12月に来日コンサートをやっていたので、新作アルバムの発売は11月や12月が多かった。右は1986121日に発売された「フライデーナイト・ファンタジー」が収録されたアルバム。中でも3楽章からなる10分近い演奏の「花束」が圧巻。出来上がった曲をミキシング・スタジオでプレイバックしていたら、少し開いていた扉越しに掃除婦がこの演奏を聴いて涙していたという美しいメロディ。

<松本> レイモン・ルフェーヴルの場合、FM番組の「ワールド・オブ・エレガンス」で、細川俊之と香坂みゆきがデュエットした「危険な関係」を作った時なんかは、4曲くらい作曲してラフ録音という、キーボートとリズム程度の楽器で録音したテープを送ってきてくれて「この中からイメージに近いものを選んでくれ。それをあなたたちの意向に合わせてアレンジしてオーケストラで演奏するから。」みたいなやりかたをやってましたが、ポルトの場合もそういうやり方だったんでしょうか? 

<脇田> いや、そういうのではなくて、1曲だけ作るというスタイルです。

<松本> 事前にデモ・テープが届いたんですか。

<脇田> 全くなくて、本当にレコーディング・スタジオで聴いたのが最初です。

フライデーナイト・ファンタジーのレコーディング

<脇田> レコーディングは1985年の9月だったと記憶してます。ビクターがレコーディング費用出してるわけで、当然私もパリに向かいました。現地ではポルトと長い付き合いのある日本人と話をして朝まで飲んだこともありました。塩谷(しおのや)さんという教授をされている方です。ポルトの作品に「誓いのボレロ(原題:Ensemble Nous Irons -- Memories of Love))」という、友人の結婚式の入場曲として書かれた作品があるんですけど、この曲の副題「Dédié à MEGUMI et KEI(メグミとケイに捧ぐ)」って、塩谷さんのことなんですね。

<松本> 大作曲家ポルトが自分の結婚式のために曲を作ってくれたなんてうらやましい限りです。ポルトが岸田智史さんの曲を取り上げたのも、この方の影響なんでしょうね。

<脇田> フライデーナイト・ファンタジーの録音がこれから始まるという時に、ピエール・ポルトとマリー・クリスティーヌ・ポルトが一人の紳士をうやうやしく、もったいぶって紹介するわけですよ。彼はすごく素晴らしいトランペッターだと。それがドミニク・ドラースだったんですが、私は彼がどれほどの腕を持った人か知らないわけで、普通に「どうぞよろしく」という感じでした。そしてレコーディングが始まったんです。

<松本> その時の録音はマルチ・トラック録音で、先にオーケストラを録ってカラオケのような状態のものを作って、それに合わせてトランペットのソロ・パートをレコーディングした、というスタイルだったのでしょうか。

<脇田> リズムは別に録ってましたがオーケストラとソロ楽器は同時に録ってました。ドミニクのトランペットとともに2テイクくらいやって、それで終わりでしたね。出来は両方とも同じくらいでした。ほとんど一発OKですね。

<松本> オーダーしていた曲を初めて聞いたとき、どのような印象を受けましたか。

<脇田> 上手いとは思いましたけど、ニニ・ロッソとずっと仕事を一緒にやってたので、ニニの歌うようなトランペットの音色との違いは強く感じました。これが日テレさんの要望に合ってるか、映画番組のテーマ曲としてふさわしいかとか言うのは正直わからなかったです。

<松本>「フライデーナイト・ファンタジー」は、原題は"Cris D'Amour"と言って、日本語に訳すと「愛の叫び」という意味ですね。確かにそんな雰囲気を持った曲ではありますが。

 <脇田> 原題はマリー・クリスティーヌと2人でつけたようですね。ポルトには「日本のテレビ局が金曜夜の映画番組のために作ってほしいと言われた曲なんだから、日本での曲名は"Fridaynight Fantasy"でいくからね。」と伝えてありました。そこも彼としてはno problemでした。

<松本> ピアノ版の方も、最初から録音が想定されていたんでしょうか。

<脇田> いや、ピアノ版は現場で私が録音をお願いしたものなんです。予定の11曲を録り終わったところで、「フライデーナイト・ファンタジー」はピアニストであるピエール・ポルトが作った曲なんだからピアノ・ヴァージョンがあってもいいんではないか、そう思えたんですよね。ポルトにそう言うと、彼は全くそんなこと思いもしなかった様子でしたが「おまえが言うのならやるよ」という具合で録音が始まりました。その後、来日コンサートで何回もこのピアノ・ヴァージョンの「フライデーナイト・ファンタジー」が演奏されましたけど、あの時レコーディングしておいてよかったと思います。後に『おしゃれピアノ』というピアノ演奏ばかり集めた全集とかに入れて売るとか、色々なコンピレーション盤に入れてリリースすることもできましたしね。

<松本> このアルバムに「La Fin Du Film / 映画のあとは」という曲が収録されてますよね。これは映画番組のテーマ曲を録音することに触発されて選曲されたものなのでしょうか。

<脇田> その曲と「L'echarpe / スカーフ」の2曲はね、共同通信社のFMfanという雑誌で編集長されていた小林俊彦さんが選曲したシャンソンなんですよ。ポルトは「よく、こんな古い渋い曲を見つけてきたね。」なんて言ってました。小林俊彦さんはイージー・リスニングをとても大切にしてくれてね、1977年に発売した「イージー・リスニングの本」に続き、1982年にも「ニュー・イージー・リスニングの本」というムック本も作ってくれました。

映画の終わりに… - シドニー・ローム
スカーフ - モーリス・ファノン
●La Fin Du Film / 映画のあとは

「映画の終わりに...」というタイトルで日本でもポリドールからシングル盤がリリースされたこの作品は、1976年にシドニー・ローム(Sydne Rome)が歌った作品。
●L'echarpe / スカーフ
日本人のシャンソン歌手が「絹のスカーフ」という邦題でもよく取り上げるこの曲は、1963年にモーリス・ファノン(Maurice Fanon)が歌った作品。

共同通信社から発売されていたFMfanの増刊号。左は1977年発売版、右は1982年発売版。

<脇田> 帰国して、録音した音源をデジタル・オーディオ・テープ、いわゆるDAT(ダット)というマッチ箱くらいの大きさの媒体にダビングして、日本テレビ系の楽曲管理会社、日本テレビ音楽出版の北村さんにお渡ししました。ここから先は日本テレビさんの中の話なんで細かいことはわからないですが、JASRACに出版権を登録するため譜面に起こす作業を日本テレビ音楽出版の中でおこなったり、日本テレビの映像担当の方に渡って、その方が音楽を聴き込んで、それに合うような映像をつけていく作業が行われたと思います。

<松本> 実際に番組で使われた演奏は、繰り返しの部分をカットして30秒あたりに曲のサビが来るように編集されています。そして、そのサビの部分で「金曜ロードショー」というロゴが画面に大写しなるように、曲が生み出す時間軸に合わせて夕闇迫る海辺の光景を次々と切り替えていく、という見事な構成の映像を作り上げていますよね。ある意味、曲のドラマ性と映像が見事にシンクロする素晴らしい映像を完成させた映像担当の方が一番最初に「フライデーナイト・ファンタジー」という曲の真価に気づいた人かもしれません。

2つのトランペット演奏曲をカップリングしたシングル盤を発売

<脇田> この作品は10月に開いた1月新譜編成会議で会社として発売承認を得て、そこからマスタリングやジャケットやプレスなどの手配が始まり、11月20日にシングル盤、LP盤同時にスタジオであげています。解説の執筆もお願いしなくてはならないですから、当時としてはそれくらいかかってしまうのは普通のことでした。 シングルのB面には、ドミニク・ドラースのトランペットを使ったもう1曲のポルトのオリジナル曲「モーニング・ドリーム(原題"Vivre")」をカップリングしました。

“Trumpet solo : Dominique Drasse”と記されている。1986121日発売)
なお、“Dominique”はフランス語スペリングなので、現在は英語表記の”Dominic”を使ってる模様。

フライデーナイト・ファンタジー - ピエール・ポルト
モーニング・ドリーム - ピエール・ポルト

<松本> トランペット演奏の2曲が1枚のシングル盤に収められ「ナイト」に対比させて「モーニング」という曲名が付けられています。2曲のトランペット曲はセットなんですよね。仮に「フライデーナイト…」を数原さんが演奏しているとしたなら、同じトランペットの音色がする「モーニング…」も数原さんの演奏と考えるのが自然でしょう。そうなると、同曲はポルトが数原さんのために番組抜きでポルトが作りプレゼントしたオリジナル曲ということになります。そんな曲をドミニク・ドラースという実在のトランペット演奏者の名前を借りてまでして数原さんの名前を隠し通し、本人もその曲について何も言わないというのことはあるんだろうかな、と思うんです。これではアーティスト同士の互いへの敬意が感じられないですし、レコード会社としてもやる意味ないと思うんです。数原さんが演奏した、という仮説には無理があるんですよね。
 
 ほかの可能性なんですが、TVで使われていた「フライデーナイト・ファンタジー」って、ピエール・ポルトのオーケストラによるカラオケで、数原さんがそれに合わせて演奏した、ということは考えられますか?

<脇田> その可能性は100%ないです。まず日本テレビさんにはドミニク・ドラースのトランペットが入ったバージョンの音しか渡してませんから。それに、さっきお話したようにオーケストラとトランペットは同時に録ってて、それとは別にカラオケを作る余裕なんてありませんでした。

<松本> では、日本テレビさんが、自分のところのオーケストラで演奏させて、そこで数原さんが演奏したということは?

<脇田> あの演奏はどう聞いたってポルトのオーケストラによる演奏です。あの象徴的なピアノの音を聞けばわかります。

<松本> これが本当ならこれまでの話が全部ウソになってしまうんですが、変名使ったということを言ってくる人もいるかもしれないので、そこのところはどうなんでしょうか。

<脇田> 全く新しいサウンドであることをアピールするということで外国人風の名前をつけるということは時々用いられる手法ですが、私はそんなことしたこともないですし、それ以前に実在の方の名前を使うなんてあり得ないですね。
今ならスマホとかでバシバシと写真撮れますが、当時はなかなかそのようなことができませんでしたけど、今となっては、カメラで映像を残しておくべきだったと思います。

ピエール・ポルトが手掛けたムーラン・ルージュの音楽のアルバム(CD)。左は1998年に発売されたもの。右はラトーヤ・ジャクソンがステージに立った時の盤。

<松本> いろいろ細かいところまで話していただき、ありがとうございました。
ところで、ピエール・ポルトって今、何やってるんですか。

<脇田> 久々にムーラン・ルージュの仕事に関わっているようです。今は2021年の9月から始まるステージの準備ですごく忙しいと言ってました。


Special thanks: 脇田 信彦/WAKITA MUSIC PLANNING JAPAN

[2022.05.10 up date](初回公開:2021.12.05)