調べていくと、ヴィヴァルディの「四季」のポピュラー化(大衆化)とレコード文化の発展は密接に関連していた、ということがわかりました。
 
 今でこそヴィヴァルディの「四季」と言えば超有名曲ですが、「四季」として知られる4曲を含む「和声と創意への試み」という12曲からなる協奏曲集の譜面が発見されたのはわりと最近のことのようです。放送用に録音された1939年の録音が最初らしく、レコードとして「四季」が一般に発売されたのは1941年録音の6枚組SP盤だとか。その頃までヴィヴァルディの作品は、ほとんどが忘れ去られており、メンデルスゾーンによってバッハの作品が見直されるようになって以降、「ヴィヴァルディの作品を編曲」と記されたバッハの作品群に対して「ヴィヴァルディって何者?」と言われていた時代が100年あまりも続いていたということです。クラシック界に突如として現れた新曲「四季」。マーケティング視点から見ても、これほど一般受けする要素が揃ったクラシック作品は、そうないでしょう。メロディはどれもが美しく個性豊かで、しかも1曲が3,4分程度なので聴く人を退屈させません。さらに、曲が表現している情景を説明した詩(ソネット)が添えられていて、これが曲の印象をさらに高めてくれます。無機的なイメージの作品が多く存在するバロック時代に、こんな情景描写の音楽が生まれていたのですから驚きです。
 
 1947年、米COLOMBIA RECORDSによりLPレコードが商用化されると、世界中のレコード会社が一斉にその流れに乗って音楽ビジネスの拡大を図ります。それまで片面で5分程度しか再生できなかったSPレコードと違って片面20分以上の音楽を再生できるようになった新しいメディアが、音楽を聴くスタイルに革命を起こすことは誰が見ても明らかでしょう。英DECCAがLPレコードの生産を開始したのが1950年。オランダの電機メーカーPHILIPSが新たにレコード部門を立ち上げたのも同じ年でした。そんな新しいメディア「LPレコード」のアピールにおいて、当時ブームになっていたバロック音楽は格好の素材です。事実、英DECCAの第1回目発売LPは、ベートーベンとかモーツァルトではなく、ドイツの演奏家カール・ミュンヒンガー指揮シュトゥットガルト室内管弦楽団による、バッハの「ブランデンブルク協奏曲第4番、第6番」そして「管弦楽組曲第3番」という2枚(ともに25cm盤)だったほどです。
 
 英DECCAとしても、さすがにバッハの超有名曲を差し置いてLP発売の第一弾にヴィヴァルディの作品を持ってくるのは無理かもしれませんが、これを放って置く手はないわけで、翌1951年にはさっそくミュンヒンガー盤「四季」を発売します。それを横目で見ていたPHILIPSは「イタリアの曲なんだからイタリア人に演奏してもらえ」と言ったかどうかは知りませんが、1952年に結成されたばかりのイ・ムジチ合奏団を使い「四季」のアルバムを1955年にリリースします。そして1958年にLPレコードのステレオ盤が実用化されるや、英DECCAがミュンヒンガーによる「四季」のステレオ再録音盤を発売すると、PHILIPSも負けじと1959年にイ・ムジチ合奏団によるステレオ再録音盤を発売する、といった具合にヒート・アップしていったのでした。そして、この1959年のイ・ムジチ盤が世界的に大ヒットしたことで、「四季」が誰でもが知るバロック音楽を代表する名曲に位置づけられるようになるとともに、PHILIPSというレーベルもレコード業界で大きなポジションを築くことになります。
 
 で、ルフェーヴルによる「四季」のポップクラシカル化の話です。
実際のアレンジについて、ここで述べることはしません。キングレコードの録音技師だった高和元彦氏が「もしヴィヴァルディが今日生きていたら、あの「四季」の"春"や"冬"は、ルフェーヴルと同じサウンドで作曲されていたのではなかろうか。」と述べ、ビクターのルフェーヴル担当ディレクターだった脇田信彦氏が述べた「ルフェーヴルがバッハやヴィヴァルディの時代に生きていたら、彼らは作曲した曲を自分でオーケストレーションするのではなく、ルフェーヴル氏に頼んでいたことだろう。」という言葉が、その本質を突いていると思います。

 
 ルフェーヴルの「四季」の録音の歴史を振り返ってみましょう。
一番最初の録音である「四季の冬」が録音されたのは1973年のことでした。続く「四季の春」は1975年の来日公演で初めて披露され、フランスに帰国するやいなや、同じく日本公演で評判だった「雪の降る街を」とセットで録音がおこなわれ、間髪入れずに日本でも発売されました。当初「幸せのコンチェルト」という曲名でしたが、1978年に「四季の秋」が発表されたタイミングで「四季の春」と改題されています。そして1980年に「四季の夏」をレコーディング後、1984年の来日コンサートで、夏、秋、冬、春の順で「四季メドレー」として披露され好評を博しました。最初の録音から「四季メドレー」の実現まで10年かかったのですね。

 
 ルフェーヴルは、夏から始まり春で終わらせるアレンジにしたことについて「春の演奏で終わらせたかったから」と語っています。メドレーにおいて第2楽章的な位置付けになる「秋」の部分が原曲の第2楽章アダージョをアレンジした作品であったことで、ヴィヴァルディが確立したという、急―緩―急の形式による協奏曲の様式にうまく当てはまったのも好都合でした。ルフェーヴルが「秋」で第2楽章を選んだのは、「四季の春」と似た演奏に陥りかねない第1楽章や、3拍子の第3楽章を避けた結果かもしれませんし、あるいはその頃すでに「春で終わらせる四季4部作」の構想を考えていたのかもしれません。ルフェーヴルが1978年に日本公演をおこなった際に開催されたファンの集いで「夏も録音して、ぜひ、コンサートで四季メドレーとして演奏してください」というファンの声があったのは事実ですが、本当のところはどうなんでしょうか。

●レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ "Les Quatre Saisons"

 1985年には、これら4曲のアレンジがオランダのフルート奏者ベルディーン・ステンベルグに提供され、彼女の『All Seasons』というアルバムに、マニュエル・デ・ファリアの「火祭りの踊り」をベースにルフェーヴルが作曲した「ファイヤ・ダンス・エクスタシー」や、ポール・モーリアのアレンジによる「哀しみのショパン」とともに収録されました。ただし、打ち込みシンセが中心の幾分簡素化されたアレンジであるため、ルフェーヴル盤で聞けるような音の厚みや迫力に乏しいのが残念です。このLP/CDは廃盤ですが、ユニバーサル・ミュージックがiTunesやAmazonなどでダウンロードで販売していますので、手軽に購入して聞くことができます。
 
 さて、話は戻って「四季メドレー」ですが、1999年にブラジルで開催された、ジル・ガンブス指揮によるフレンチ・スタイル・オーケストラでも演奏されていて、こちらのFacebookのページで隠し撮り(?)らしい映像が公開されています。
 
 日本でも、このような機会を作って、こんなフレンチ・スタイルでのオーケストラ演奏を生で聴きたいものです。 (上記のURL、もし変わって見えなくなってしまっていたら、ごめんなさい。)