ルフェーヴルの担当ディレクターは、「ナディールのロマンス」のブログ記事に書かせていただいたようなやりとりを重ねていくうち、「レイモン・ルフェーヴルという人は、音符やメロディを介して音楽と直接会話してるようだ」という印象を持たれたそうです。
それは、ルフェーヴルが演奏する日本の伝統曲の中からも感じることができます。かつて海外のアレンジャーが、ドラを使ったり中国風メロディを使ったりするアレンジで日本の曲を演奏していたことがよくありました。具体的な曲名を出して申し訳ないですが、マントヴァーニの「荒城の月」なんかが、その一例です。
また、逆に日本人の編曲家だと、過去のいろいろな演奏家や歌手が演奏してきた際に付けられてしまった"色"や、大編成のオーケストラだから迫力ある演奏にしなければ、という固定概念が滲み出てしまっていて、なかなか「これは!」という演奏に接することがありません。
ところがルフェーヴルは、日本風に寄せたアレンジをするわけでもなく、フレンチ・サウンドの枠に押し込めるでもなく、ルフェーヴルとしての個性を出しつつも、純粋に、どんなアレンジにしたらその曲が一番映えるのかを考えて編曲していたように感じられます。 以下、ファン・クラブ・スタッフの岡部さんがFacebookに掲載していた内容をそのまま転載させていただきます。
ルフェーヴルがアレンジした日本の楽曲は「えっ」と耳を疑うほどに生まれ変わる。オリジナルを損なわずフランスの香り漂うまさに音楽のヌーベルキュイジーヌ。この「出船」が発売された1928年は日本は不況に喘いでいたそうだ。重く寂しいメロディーは当時の絶望感を抱く人々の心にシンクロしてヒットしたそうだ。それにしても出船だ。この能代港を出て行く船を見送る寂しげな曲調をルフェーヴルは自身のフルートで表現したか!そうきたか!その後の嫋やかなストリングスのうねり、短調から長調への転調は船を迎え入れる母なる港のように希望を与えるように聴こえないか?ウンウン、これはやはり名アレンジだ。とルフェーヴルオタクはどのような心情でアレンジしたか楽しみながら鑑賞するのです。スタジオレコーディングを当時多くのファンが望んだが叶わなかった。
●レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ "出船"
音符という言語を介して音楽と直接会話して、その曲が応えてきてくれたメッセージに基づきアレンジを施していく。それが、ルフェーヴルの編曲スタイル。
<ルフェーヴルが来日コンサートで取り上げた日本の伝統曲>
出船(1974年)、赤とんぼ(1975年)、雪の降る街を(1975年、1977年、1993年)、影を慕いて(1978年、1995年)、宵待草(1987年)、荒城の月(1987年、1993年)、悲しい酒(1989年)、さくらさくら(1995年) ※「さくらさくら」はジャン・ミシェルの編曲