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イージーリスニングとチェンバロ

 2022年10月1日に放送された「題名のない音楽会」でイージーリスニングが特集されました。ポール・モーリアの演奏を基にした「オリーブの首飾り」やルフェーヴルの演奏を基にした「愛よ永遠に」が演奏されただけでなく、ルフェーヴルの「四季の春」もクラシック曲にリズムを加えて現代風に変えた例として紹介されていました。今、日本の音楽家でこういうことを語れるのは服部隆之さんだけなのかもしれません。「題名のない音楽会」のようなメジャーな番組でイージーリスニングを取り上げていただいたことにほんとうに感謝です。
 
 その番組の中で、服部隆之さんがイージーリスニングでチェンバロが多用された理由としてビートルズのプロデューサー:ジョージ・マーティンが関わった「イン・マイ・ライフ」を例に、バロック的なサウンドを求めたのではないかという仮説を紹介してましたが、私の見解もお話していこうと思います。
 
 そもそも、イージーリスニングのチェンバロっていつ頃から使われていたのでしょうか。
 
 私が持っている一番古いチェンバロを使った曲は、1955年に録音されたパーシー・フェイス・オーケストラの「Delicado / デリカード」でした。ラテンの名曲をパーシー・フェイスがアレンジした名演奏ですね。また、同じ年にフランク・プゥルセルが録音した「Una Casa Portuguesa / ポルトガルの家」にもチェンバロが使われていました。おそらく、それ以前にもあったでしょう。いずれにしても歴史は古く、1950年代にはすでに存在していた、と言えそうです。
 
Delicado / Percy Faith >

Una Casa Portuguesa / Franck Pourcel >

 ちなみに、私がわかる範囲で調べたフランク・プゥルセル以外のフランスの主要イージーリスニング・オーケストラが初めてチェンバロを使ったと思われる作品は以下の通りです。
 
1961年 レイモン・ルフェーヴル「Verte Campagne (Green Fields) / グリーン・フィールズ」(ブラザース・フォアの名曲)

1961年 カラベリ「Nous, Les Amoureux / ふたりは恋人」(ジャン・クロード・パスカルの曲)

1963年 ポール・モーリア「Demain tu te maries」(パトリシア・カルリの作品)「Tu te reconnaîtras」(レニー・エスキュデロが歌った)等

 これらの曲を聴いていても、当然チェンバロなんでバロックな音がするのはあたりまえなんですが、別にバロック風に仕立てているわけではないことが感じ取れます。グレン・ミラーが「ムーンライト・セレナーデ」の演奏をするにあたってそれまでにないサウンドを求め、ついにクラリネット重奏の暖かい音色にたどり着いたように、どのイージーリスニングの演奏家も自身のオーケストラやアレンジの特徴を際立たせるために新しいサウンドを追い求めていました。チェンバロもそんなサウンドづくりに貢献した楽器のひとつに過ぎなかったのではないかと思います。
 
 イージーリスニングに限りません。レイモン・ルフェーヴルが編曲したDalida / ダリダの作品に「T'aimer Follement(Makin' Love) / メイキン・ラヴ」というものがあります。1959年にアメリカのフロイド・ロビンソンが創唱した作品で、翌年フランスではダリダとともにロック歌手Johnny Hallyday / ジョニー・アリディが取り上げました。原曲ではアコースティックギター、アリディ盤ではエレキギターが使われた部分をルフェーヴルはチェンバロに置き換えました。チェンバロもギター同様に弦をひっかけて鳴らす楽器なので同じようにキレのあるサウンドを生み出すことができますが、時代の最先端であるエレキギターが使われる一方でバロック楽器の代表格であるチェンバロを使うなんて、すごい着想です。ちなみにプゥルセルは管楽器にしてしまいました。これもすごいですね。
Floyd Robinson / T'aimer Follement(Makin' Love) >

Johnny Hallyday / T'aimer Follement(Makin' Love) >

Dalida / T'aimer Follement(Makin' Love) >

T'aimer Follement(Makin' Love) / Franck Pourcel >

 
 それ以外にルフェーヴルが編曲したダリダの作品だけでも、1959年の「Ciao Ciao Bambina / チャオ・チャオ・バンビーナ」「Come Prima / コメ・プリマ」、1960年の「Never On Sunday / 日曜はダメよ」など、チェンバロがリズムを刻む楽器として使われています。

また、1963年にポール・モーリアが編曲し、Charles Aznavour / シャルル・アズナヴールが歌った「Je T'attends / 君を待つ」では、いかにもポール・モーリアらしい緻密なチェンバロ伴奏を聴くことができます。

同じ年、Claude François / クロード・フランソワの「Moi je voudrais bien me marier / 結婚したい」でもチェンバロが伴奏に使われました。
当時、イージーリスニングに限らず、フランスではポピュラー曲にも積極的にチェンバロが使われていたことが推測されます。
 フランスでも50年代後半になるとプレスリーをはじめとしたロック系の音楽が台頭し始め、斬新でポップでリズミカルな編曲が求められるようになってきました。一方で、当時のポピュラー音楽はAMラジオやジューク・ボックスのような音響的に不十分なオーディオ設備で鳴らされ、それでヒットが左右されてしまっていた状況であったと思います。当時のレコード録音はヴァイオリンなどの楽器がそこそこ生音に近い感じの音で再現できるのに対して、ピアノは生演奏で得られるような高音のキレや迫力が再現しづらく音が丸くなってしまい、さらには濁ってしまうこともあって、どうしても古くさい音としてしか聞こえてきません。そこで目をつけられたのがチェンバロだったのではないでしょうか。チェンバロならピアノと同じでメロディを弾いたりコード(和音)でリズムを刻むことができ、しかもレコーディングしても切れ良く鋭いメリハリのあるサウンドが再現できます。新しいサウンドを求めていたフランスの若い編曲家が飛びついたのも当然でしょう。60年代のフレンチ・ポップスはピアノの伴奏が入っている曲が少なくチェンバロの方が重宝されたような印象があるのですが、それは、そんな理由からではないかと思います。(ロック系の音楽はハモンドオルガンも多く使われた。)70年代に入ると録音技術も進化し、いろいろな楽器の録音再現性が増したことや世界各国の民族楽器(シタールとか)の認知が進んだことや電子楽器の多様化などによりチェンバロの優位性は失われてしまったのではないかと思います。
 
Franck Pourcel の1961年にレコーディングしたピアノが入った録音
Tous les mots d'amour / 愛の言葉のすべて >

 
まとめますと、
・チェンバロは1950年代から広くポピュラー音楽の世界で使われていた。
・メロディラインを奏でるだけでなく、ギターやリズムを刻む楽器の代替としても使われていた。
・当時のレコーディング技術では再現が難しかったピアノの代替としてサウンドの新鮮さを演出していたところがありそう。
ということです。
 
 世界的にチェンバロという楽器をポピュラー音楽に使って成功した(印象に残した)のは間違いなくポール・モーリアの「恋はみずいろ」でしょう。小さい音でしか鳴らないはずのチェンバロやハープの音色をオン・マイク(楽器にマイクを近づける方法)で拾い、それをストリングスと同じ音量になるようにミキシングすることで聴く人をはっとさせる、あの構成力。さらには録音技術の進歩によりチェンバロの音色が豊かに響くようになった効果も活かして、単なるギターやピアノの代替ではないバロック的な空気観まで感じさせてくれる音作りまで完成させてしまいました。そしてそれ以降、「エーゲ海の真珠」「涙のトッカータ」「カリブの白い砂」「オリーブの首飾り」など、オリジナル・ヒット・ナンバーを中心にチェンバロを使った作品を世に送り続けたことで『イージーリスニングと言えばチェンバロがつきもの』という公式まで作り上げてしまったのです。すごいことだと思います。
(以下、2023年10月 記)
  宮川泰さんが伝説的なバラエティ番組「ゲバゲバ90分」の後テーマ曲でチェンバロを使ってるのは、別にバロック的な雰囲気を出したくてやったのではなくて、サウンド的な面白さを出したかったのでしょう。また、筒美京平さんもヴォーカルをチェンバロに置き換えた歌のない歌謡曲のアルバムを何枚も作っています。当時の多くの日本人編曲家が影響を受けたポール・モーリア・サウンド。彼のチェンバロの音色と斬新なアレンジは日本の歌謡曲のスタイルにも大きな影響を与えていたと思います。

[2022.10.02 up date]