「最後のマイ・ウエイ」観てきました。 
観るまでは、息子さんがプロデュースしたというので、クロクロことクロード・フランソワは世界的な名曲「マイ・ウエイ」の作者で、フランスではこんなに先進的で偉大なアーティストだった…といったことをドキュメンタリー・タッチに描いていく内容かと思っていたのですが、さにあらず。どちらかと言うと彼の人間性、生き方の部分にスポットを当てた内容で、2時間以上の長さを感じない充実感に圧倒されてしまいました。 

 この映画のハイライトは2カ所あります。まずはシナトラの所属するレコード会社から届いた「マイ・ウエイ」のサンプル盤を聞きながら、自分の作品が憧れの歌手に取り上げられたことを、まぶたの裏で亡き父に「自分の進むべき道"My Way"が間違ってなかった、あなたも敬意を表していたフランク・シナトラが、あなたの息子が作った音楽を取り上げたんですよ。」と伝えに行くシーン。そしてもうひとつは、英語圏進出の第一弾としてロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで大観衆を前に英語で「マイ・ウエイ」を歌い、途中からフランス語の原詩に切り替えて歌い終わる場面です。
 特に後者は、『几帳面な』『自分にも他人にも厳しい』『自分をどうプロモートするかということに全神経を注ぐ』『恋人としてしか見ていなかったフランス・ギャルがユーロヴィジョン・ソング・コンテストで1位を取ったとたんに即刻別れたくらいの、負けず嫌い』といった、それまで映画の中で描いてきたクロクロの生き方をポール・アンカが書いた"My Way"の英詞の中に二重写しさせ、最後にそれをクロクロの歌詞"Comme d'habitude"「いつものようにそれをずっと続けてきた…。(それが私の生きる道なのだ。)」と歌い継ぐ、全く違うことを歌った同じメロディの歌が初めてひとつのメッセージとして昇華された瞬間が描かれています。先の場面がクロクロから父にメッセージを伝えに行く場面であるならば、後の場面は、息子さんたちから偉大な父クロード・フランソワへのメッセージが込められているんですね。これには感動の涙が止まりませんでした。 
 一方で、あれだけの自信家でありながら、ホテルのフロントでシナトラがチェックアウトして出て行く姿を見かけつつも「私がマイ・ウエイの作者です」と声を掛けられなかった場面が出てきます。確かに、あのあわただしい場面で声をかけたとしても、シナトラにとっては見ず知らずの若者に対して半信半疑で「そうか、君か」で終わり、すぐに忘れ去られてしまったことでしょう。クロクロは、実は冷静で自分をきちんと客観視できていた人間だったのだ思います。

 1977年にクロクロは英語で自分の作品をカヴァーしたアルバムを発表しましたが、個人的な感想を言わせていただくと、このアルバムに収録されている「マイ・ウエイ」は、残念ながらアレンジも平凡で歌い方も軽く、あまり魅力を感じることができませんでした。一方、同じ年に「コム・ダビテュード」の作者として名を連ねるジャック・ルヴォーが育てたミッシェル・サルドゥが「コム・ダビテュード」を素晴らしいオーケストレーションをバックに力強い歌唱でレコーディングし発表しています。この頃、ヨーロッパではアバによるきらびやかなサウンドが人気拡大途上にあったわけですが、もしクロクロが生きていたら、彼のサウンドはどう受け入れられどう変わっていったでしょうか。 

 いずれにせよ、彼の歌を聴いたり映像を観たりすることが何倍にも楽しくなりました。これから、各地での上映が始まると思いますが、ぜひご覧になってください。

[2013.08.15 up date]