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松山千春が歌う「シバの女王」

 1981年、ルフェーヴルの演奏作品の日本での発売元がキングレコードからポリドールインターナショナル(現:ユニバーサル・ミュージック)が100%出資する新しいレコード会社「ロンドンレコード」に移りました。ロンドンレコードは、イギリスのデッカとフランスのバークレーがポリドールインターナショナルに買収されたため、この2つのレーベルを資本関係のないキングレコードから切り離す、というところから生まれた会社だったようです。設立までの準備期間に、長い間友好関係にあった英デッカが日本での発売元がキングレコードから離れることに難色を示していたという話があったようで、実際にロンドンレコードが設立された後もしばらくの間、旧譜の再発売はキングレコードからも継続しておこなわれていました。つまり、同じ音源がロンドンレコードから出たり、しばらくするとキングレコードから発売されたり、あるいはさらにその逆の動きあったり、ということが普通におこなわれていた時代があったのです。その敵とも味方ともつかない関係は2000年まで続きます。

※余談
 当時、ビング・クロスビーなどが所属するアメリカのデッカ社(そもそもはイギリスのデッカ社が作った会社。後にいろいろな会社と統合してMCA社となる)が米国と日本における「デッカ」の商標権を持っていたので、アメリカのデッカ社とは資本関係がなくなっていたイギリスのデッカ社は、その2国では「ロンドン」というレーベル名で作品を販売していた。現在は両方ともユニバーサルミュージックになったので、「ロンドン」というレーベル名はポピュラー部門の一部を除いて使われなくなっている。また、それまで外資規制で「ワーナーパイオニア」「東芝EMI」「RCAビクター」のような合弁の形でしか受け入れていなかったレコード業界で、戦後初の外資100%レコード会社がロンドンレコードではなかったかと思う。

 一方、ポリドールにクラシックの主力レーベルであるデッカを取られてしまったキングは、同じく永年に渡って友好関係があったテルデックをクラシックのレーベルのメインに据えてやっていこうとしたのですが、こちらもテルデック社がワーナーミュージックに買収されてしまったことで、1990年以降キングはメジャーなクラシック・レーベルを持たなくなってしまいました。
 もちろんそれ以前にも、アメリカのコロムビアレコードが第二次大戦を機に資本関係がなくなっている日本コロムビアとの提携を解消してソニーと合弁会社CBSソニーを作ったり、アメリカのA&Mレコードがキングからアルファレコード、ポニーキャニオンと販売元が変わったりしたしたことはありました。ただ、それらはあくまでレーベルの発売元と日本における販売会社との契約の問題です。これに対して英デッカやテルデックの場合は完全に資本の原理。親の理屈で相思相愛の仲を引き裂かれてしまったようなものです。「グローバル化というのはこういうものなのだ。」ということをまさに地で行く変化が、今から40年近く前のレコード業界には既に起こっていたのです。
 ルフェーヴルのファンは、テレフンケンやロンドンのレーベルでレコードが出ていたノーマン・キャンドラーやロンドン・レーベルでレコードが出ていたマントヴァーニなど、キングから発売されるイージー・リスニングを好んで聴いていた人が多くいました。ですから、今まで聞いてきた多くのアーティストが、ジャケットだけでなくプレス工場が変わってしまったことでマスタリングのやりかたや素材まで変わり音も大きく変わって発売されることに、当時ショックを覚えたものでした。

※余談
テルデックは、もともとはテレフンケン(TELEFUNKEN)とデッカ(DECCA)の合弁会社で、日本ではロンドン・レーベルとして発売されていた時期もあった。
なお、キングと英デッカは、確か契約25周年の際に「無期限自動更新契約」を締結したように記憶している。当時レコード店で配布していたロンドンレーベルのカタログ冊子に、ズービン・メータやアンセルメなど多くの所属アーティストからの祝福コメントが寄せられていた記憶がある。

 さて、話は日本のロンドンレコードに戻ります。同社は副社長に東芝EMIの敏腕プロデューサーでビートルズを育てフランク・プゥルセルの「赤ちゃんのための名曲集」の企画も手がけた高嶋弘之氏、それに、松山千春が所属するNEWSレコードの社長である山本詔治氏を迎えスタートしました。そんな状態ですからルフェーヴルの松山千春の作品集というのはおそらく既定路線だったのであろうと思われます。しかし、既定路線とは言え組み合わせとしては最高です。千春の作品はメロディーが美しく心理描写も細かいので、ルフェーヴルによるオーケストレーションによってそれらの特性が生かせることは間違いありません。さらに、松山千春はその当時からコンサートで「シバの女王」を歌っていました。ルフェーヴルの演奏で千春が「シバの女王」を歌うというのはプロモーション的には非常にアピール度が高くなります。そんな感じでアルバム制作は両者社の間でトントン拍子に進んでいったのだろうと思われます。

 当時のルフェーヴル・ファンは千春の歌う「シバの女王」のアレンジを聴いて一様に驚いたものです。1976年に再録音された「シバの女王」が、大ヒットした1968年録音の演奏と基本的な構成がほとんど変わらなかったことに対してルフェーヴル自身が「私にとってこの曲はこのアレンジしかない」と言っていたにも関わらず、歌手の伴奏となるとイントロ含めて全く違うアレンジを施してきたからです。ファンはこの時改めて、レイモン・ルフェーヴルというアレンジャーが、20年近くもフランスのすべてのミュージシャンの伴奏を生放送のテレビ番組で手がけてきたという『重み』を改めて認識させられたのです。編曲は歌手と歌そのもの(メロディーと歌詞の内容)を引き立てるためのもの。歌い手の主役が自身のオーケストラから松山千春に変われば、演奏のアプローチが変わるのは当然のこと。そんな音楽哲学を改めて感じさせてくれたわけです。

※余談
生放送では歌うことのなかったイヴ・モンタンだけは伴奏したことがない、とルフェーヴル氏はファンのつどいで語っていた。

 千春の歌唱もすばらしいの一言に尽きます。作詞作曲者であるミシェル・ローランの原曲(なかにし礼の日本語歌詞でも歌っている)と比べてもずっと素晴らしい出来と思います。そもそも、この曲は前半部と後半部で音域が違います。このため下手な歌手だと声量や表現力に大きな差が出てしまうのですが、千春は余裕。ローランが淡々と歌っているのに対して千春版は前半で情緒たっぷりに歌い上げ、後半のオーケストラが力強い演奏に変わり「私はあなたの愛の奴隷」と歌い上げるところで伸びのある歌唱を聴かせてくれるところに、その特徴は良く出ているでしょう。千春のオリジナル作品とは違った魅力や歌唱力が記録されているという点でも貴重な作品ですが、この千春の歌唱力をここまで引き出した演奏とアレンジの良さも忘れてはなりません。

 この作品集のLP/CD化の権利はロンドンレコードが持っていて、ロンドンレコードとその資産を引き継いだポリドールがそれぞれ1回ずつCD化しています。普通に考えると、このCD化の権利はユニバーサルミュージックに引き継がれているはずなので、千春ファンのために再マスタリングして配信でもいいので出してくれないものでしょうか。

(1)店頭配布チラシの表面:大きさはA5サイズです。発売元がポニーと書かれていて、まだキャニオンと合併する前の話ですね。

(2)店頭配布チラシの裏面:問い合わせ先に個人名まで書かれているところが時代を感じさせます。

(3)NEWSレコードのレコード店向け注文書:いい紙を使っているのでキレイです。NEWSレコードとしての力の入れ具合が伝わってきます。

(4)ロンドンレコードのレコード店向け注文書:ペラペラの紙なのでウラが透けて見える。当時の普通の注文書はこんなものでした。 注文書はいずれもA4の大きさです。

(5)ここからは、ロンドンレコードの方からいただいたプレスリリースのコピーです。

(6)アルバム制作に至った背景が描かれています。

(7)どこまでが本当の話かはよくわかりません。「出逢い」という曲も原題は「アイルランドの秋」ですので…。

(8)ルフェーヴルと千春の最新アルバムも紹介。切り貼りの跡が見えるところが時代を表しています。確か最初のパーソナルワープロが出たのがこの頃。