PHILIPS SFX-5140
Nippon Phonogram
[30cmLP]
P. 1973
ポール・モーリア・ライブ・イン・ジャパン
キングもビクターも、歌手の伴奏などで編成の大きなオーケストラや合唱団などの録音は数多くこなしていた。読響や日フィルといったクラシック・オーケストラのホールでの録音経験も豊富だったし、「ビクターオーケストラ」や「音羽ゆりかご会」のようなお抱えのオーケストラや児童合唱団まで持っていた。当然、スタジオと違って機材などで大きな制約を受けるコンサート・ホールでの録音の経験もあっただろうし、各楽器の音をきちんと分離良く収録していかねばならないポピュラーのオーケストラの録音ノウハウだって実績を積んでいたと思われる。これは放送用機材や録音機材を作っているソニーを親会社に持つ当時のCBSソニーも同じだったのではないだろうか。
一方、ビクターから分離して数年しかたっていない日本フォノグラムは、人材の一部はビクターから引き継いできているかもしれないが、在籍するアーティストは若手が多く大編成オーケストラをバックに歌う歌手なんていなかったろうし、ライヴ録音の経験に到ってはほとんどなかったのではないか。とは言え、ルフェーヴルもカラベリも日本公演を録音して評判をとっている。ポール・モーリアもやらないわけにはいかない。どうするか。
答えはポール・モーリア自身が持っていた。当時テレビ番組で活躍していたルフェーヴルやカラベリと違いレコーディング活動に注力していたモーリアは、度重なるレコーディングを通じて録音技術を熟知している上に、ミレイユ・マチューのライヴ録音も少なくとも2回経験していた。ヴァイオリン1台ずつにマイクを取り付け、ピアノの弦を叩くハンマーのフェルトを取り外して響きを強調し、チェンバロの小さな音を確実に拾うために弦にカバーをかぶせてマイクを仕込むといった具合に、当時の日本ではやった人がいなかったという技法を次々と持ち込んできたのである。こうして30人あまりの編成のオーケストラに50本ものマイクをセットして収録した16チャンネルの音源をフランスに持ち帰りミキシング加工を施し、こうしてライヴなんだけどライヴとは思えない仕上がりのアルバムを作り上げてしまったのだ。
おそらく日本フォノグラムの技術陣はこれにより、超最先端の録音技術を習得することができたことだろう。その後、この会社は後にオランダのフィリップス本社にも認められクラシックの分野でも独自録音を増やしていくことになるのだが、このライヴ録音がその起点にあるかもしれないと思うと、ポール・モーリアというアーティストが日本の音楽業界に与えた影響の大きさは計り知れない。
(2015/01/24)
Side 1 (Face 1)
1. Etude En Forme De Rhythm & Blues / ポール・モーリアのR&B - イントロダクション
2. Love Theme From "The Godfather" - Speak Softly Love (Parle Plus Bas) / ゴッドファーザー愛のテーマ
3. Le Dernier Tango A Paris (Last Tango In Paris) / ラスト・タンゴ・イン・パリ
4. Pearl Fishers (Les Pecheurs De Perles) / 真珠採り
5. Penélope / エーゲ海の真珠
6. La Marche Torque / トルコ行進曲
7. Jeux Interdits (Romance De Amour) / 禁じられた遊び
Side 2 (Face 2)
1. Hello, Dolly! / ハロー・ドーリー
2. We've Only Just Begun / 愛のプレリュード
3. Hora Staccato / ホラ・スタッカート
4. Toccata / 涙のトッカータ
5. L'amour Est Bleu (Love Is Blue) / 恋はみずいろ
6. Nocturne / 蒼いノクターン