カラベリと言えば、フランク・シナトラのカムバック曲となったと言われている「愛をもう一度」が一番の代表曲でしょう。作詞はミシェル・ジュールダン(Michel Jourdan)で、この人は、当時若い女性に大人気だったマイク・ブラント(Mike Brant)の「いつわりの涙」「フィーリング」といった曲の作詞/訳詞を手がけています。そして、この「愛をもう一度」を最初に歌ったのはカラベリとともにこの曲の作曲者として名を連ねるロミュアール(本名:Romuald Figuier)という人でした。ロミュアールはヒット曲にはあまり恵まれませんでしたが、1969年のユーロヴィジョン・ソング・コンテストで、ポール・モーリアが作曲した「カトリーヌ」をルクセンブルグ代表として歌った歌手としても知られています。そのロミュアールは1973年2月、チリのビニャデルマルというところで開催された音楽祭で、この"Laisse Moi Le Temps(時間をください)"を歌って2位を獲得し、さらにベストシンガー賞まで受賞してしまいます。またフランスでは「オー・レディ・マリー」で知られるダヴィッド・アレクサンドル・ウィンター(David Alexandre Winter)も、すぐにレパートリーに加え人気を博しました。

 その頃、ポール・アンカはフランク・シナトラのカムバックに向けて動いていました。フランスの人気歌手、クロード・フランソワが作った"Comme D'Habitude (いつものように)"を、雄大な曲に書き直した「マイ・ウエイ」を歌い引退したシナトラですから、カム・バック曲としてフランス生まれの曲を使う、というのは極めて自然な発想でしょう。そういうことでポール・アンカは、この"Laisse Moi Le Temps"に注目たのではないかと思われます。そして、1973年10月に"Ol' Blue Eyes Is Back(青い目が帰ってきた)"というアルバムをリリースするにあたって、その中の1曲として"Let My Try Again(愛をもう一度)"つまり「もう一度、試させてほしい(やりなおそう)」という、カム・バックを象徴するかのようなタイトルに変えてレコーディングさせ、シナトラをふたたびショー・ステージの場に引き戻したのでしょう。カム・バックは見事に成功しました。しかし、"Let My Try Again"の方はアルバムの1曲にとどまってしまい、ベスト・アルバムなどにもほぼ取り上げられないような扱いとなってしまったのは非常に残念です。シナトラ本人として、「ひとりよがり」「許してほしい」と歌われる歌詞の内容がイヤだったのでしょうか。

 ロミュアールのオリジナル盤はギター・ソロの前奏から始まりストリングスが主体の伴奏で、そのストリングスが奏でるメロディ・ラインもシナトラ盤のストリングスが奏でるものとは違い、たいへんしっとりとした仕上りです。一方、シナトラ盤はアメリカ的、エンタテインメント的なきらびやかさがあるアレンジです。カラベリは、その演奏にかなり忠実です。カラベリとロミュアールがいっしょに作曲した作品なのですから、カラベリがロミュアール盤を聴かないはずありません。おそらく、カラベリの「愛をもう一度」は、シナトラのヒットを受けてレコーディングされたものでしょう。

 そういったことを考えていくと、レイモン・ルフェーヴルの「愛をもう一度」はオリジナリティ溢れる素晴らしいアレンジだと思います。シナトラの雰囲気は完全に消され、ピアノ・コンチェルトを思わせる全体構成で、ホルンの雄大かつ暖かい雰囲気とロミュアール盤にもシナトラ盤にも現れない美しいストリングスのメロディ。作曲者たちでさえ気づかなかった、この作品に秘められていた本当の美しさを存分に引き出しています。ちなみにルフェーヴルが「愛をもう一度」が収録されているアルバム"Raymond Lefèvre No.18"ができあがったのは、Barclayのマスター台帳によると、1974年4月とのことです。

●ロミュアール "Laisse Moi Le Temps"

●ロミュアール "Laisse Moi Le Temps"(音楽祭の映像)

●フランク・シナトラ "Let Me Try Again"

●カラベリ "Let Me Try Again"

●レイモン・ルフェーヴル "Let Me Try Again - Laisse Moi Le Temps"